お茶のきものと浦澤月子さん
普段のきものについては、白洲正子・幸田文に影響を受けているのですが、それ以外のハレの日のきものについては浦澤月子さんの考え方に沿っていることが多いです。
お茶の稽古にはやわらかものの方が点前しやすいと言われます。
落ち感や裾さばきなどを考えると、その方が優雅であり、美しいのだと思うのです。
私のお茶関係のきものはほとんどがお下がりです。
八掛に叔母の茶名が入った地紋だったり
(特注でしょうか・・・・)
すべての紬に紋が入っていたりと、なかなか主張のあるものを受け継いでいます(苦笑)
無地紬に三つ紋が入っているものもあり最初の頃は??ばかりでした。
やがてお茶を本格的に学ぶようになってから、自分で誂えた小紋での稽古より、お下がりの紬での稽古の方が多くなりました。
自分で誂えた小紋は、洗える襦袢との相性のせいか、冬場は静電気が起きたり、長時間の正座でしわになったり点前の時の膝の移動などでは、前がはだけてしまいます。
ところが祖母の紬を着て稽古をしたときに、上前が広めに仕立ててあるので、どんな動きでもはだけないことを知りました。
長時間の正座でもしわ一つなく、立ったり座ったりの動作で着崩れがありません。
袖丈も短く柄杓をひっかけてまう心配もありません。
出帛紗やお懐紙を何度出し入れしても胸元が崩れません。
この紬に紋が入っている意味が分かりました。
しかし、まだまだ謎は深まるばかりで、同じサイズに仕立てたはずの私の色無地と、祖母の色無地とでは、着付けの時間が違います。
祖母の色無地は、まとっただけで着付けが決まり、微調整がいりません。
これは仕立てた和裁士さんの技量によるものなのでしょうか・・・。
この紬は結城紬に草木染で草花が手書きされています。
とても手の込んだ職人技ですが色は地味。
茶室に入ると釜と同じ色です(笑)
なので帯も茶室の壁に溶け込むように、調和を考えてコーディネートしています。
私の所属する両忘会は、武者小路千家ですが、先生が熊本藩の家老である有吉家の当主なので、武家茶道に近いのです。
点前もどちらかというと男性的なので、稽古は紬の方がしっくりくるような気もします。
浦澤月子さんの本に、
「どんなに高価であろうとも、紬は街着であって、お茶席や改まった席には着ていけないと信じている人がいます。そんなことはありません。それは本物の紬を知らない、本物の紬と出会ったことのない人のいう事。
結城でも万代でも本物の紬はお茶席にも通用しますし、訪問着にもなります。三つ紋、それも縫い紋を入れれば申し分ありません。」
このようなくだりがあります。
叔母の紬に三つ紋があった謎がここで解けました。
そうはいっても、稽古で紬は着ますが、茶会では着ません。
私自身が良くても、ほかの方々に対して配慮をするべき場合もあるので、やはり、稽古どまりになります。
それでも、茶会以外のパーティーなどに紬を着ていける楽しみを教えてくれたのは浦澤月子さんのおかげです。
私は浦澤月子さんにお会いしたことはありませんが、
叔母の話の中によく出てきました。
銀座の老舗呉服店「紬屋吉平」の六代目の女将さんだった人です。
「紬屋吉平」は手紬、手染め、手織りのものばかりを扱っていて、女将さん自身も織やデザインまでやられていたと。
若い頃、家にあった家庭画報の連載を読んで、当時の私には遠い夢のような存在でした。
昭和50年に出された「日本の染織2」に女将さんの人生が綴られています。
「自ら織って、織った人の心を知る」この言葉が今の私と重なるので、感慨深いものがあります・・・・。
銀座の老舗呉服店や小物、草履屋さんなども、一店、また一店と閉店してしまい、気が付くともう話の中でしか存在しないのですね。
どんなに状況が変化しても、きものを着続けることが私にできること。
細々と長く長く続けていければと思います。