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暮らしの中にある染や織

2018年6月6日 11:31  日々の暮らし 

着物を生業とし、染がどうの織がどうのと皆さまに教える立場で、書物や耳から入った知識や現地での簡単な体験だけでは語るべきでないのでは・・・。それがずっと長い間の悩みでもありました。


職人になれるわけではありませんが、やはり自分である程度の苦労をしてこそ、作り手の気持ちに沿うこともできますし、

その仕事がどれほど大変であるかも理解できるのではと思っています。


染の師匠はもう亡くなってしまいましたが、引き染とぼかし染を教えて頂きました。

長襦袢や色無地などを染めたりしましたが、中腰で寒い板場での作業は結構つらく、体力のいるものでした。

染に比べ織はもっと複雑で、ようやくこの方だという師匠に出会え、現在に至っております。


まだまだ先は長く勉強は続いていくと思くいますので、一人前になる頃には80代のおばあちゃんになってしまっているかな(苦笑)生きていればの話ですが・・・。



もう少しで織りあがる夏用の半幅帯です。

落花生で糸を染めてあります。


染も織も暮らしに寄り添うものであり、地に足がついていなければ真剣に向き合えないものだと痛感しています。

非常に地味な作業ですので、そこに喜びを見出せるかどうか不安だったのですが、不思議なことに織は座禅に似ており、私にはとても相性が良かったようです。


織り始めて無心になると、不思議な高揚感を感じることがあります。

それは物を買った時の喜びや、仕事がうまくいったときの喜び、おいしいものを食べたときの喜びとは全く異なるもので、

機と糸と自分が一つになってふわっと体が軽くなり、座禅や瞑想する時と同じ気持ちになります。



工房ではいよいよ養蚕がスタートしました。(このぐらいの写真であれば皆さん驚かないかと思いますので)



小屋も完成間近です。

養蚕は昔からやりたかったことの一つでした。

こういう環境を与えて下さる先生に心から感謝しています。


養蚕・糸づくり・染・織とすべての工程に関わっていけるとしたら、完成された世界を自分の手で作っていけるということです。

考えられないほど素晴らしいことです。

メディアなどの情報に常にコントロールされていると感じてしまう日々から、己でコントロールできる世界を作りたいという願いに一歩前進するような気がします。



ところで、私は毎日ドクダミ茶を飲んでいます。腸の調子もいいですし、血圧も安定します。

化粧水もどくだみで手作りしていますが、生の葉の良いものが手に入れにくいので乾燥葉で作っています。

本当は生の葉のエキスの方が効果があるのですが、道端で咲いているものは、ワンちゃんなどがもしかしてお散歩のときに・・・。と考えると使いにくく、実家のそばにもあるのですが、薄暗い裏庭の陰に鬱蒼と生えていて、なんとも取りにくいのです。

先日工房の畑にドクダミが沢山あったので(今まで気が付かなかったのです)早速自宅に持ち帰りました。

明るい太陽の光が降り注ぐ場所のドクダミは、色もきれいで香りも良かったです。



工房ではお昼は先生が作ってくださいます。

皆さんと同じ食事を取り、また午後から機に向かうという充実した時間を過ごしています。



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