伊と幸と丹波布
伊と幸の白生地で染めた小紋に、福永世紀子の帯。
龍工房の絞り帯揚げに道明の帯締め。
伊と幸の白生地が一番であるというのは祖母も叔母もよく話していましたが、その良さを実感するのはお茶会に出る機会が多くなった40代以降でした。
フォーマルの場合、いつもは前日に着物を出してチェックしてから着物用ハンガーに掛けておきます。
畳ジワなども絹の重みである程度取れますが、あまりに強い時は軽くアイロンを当てておきます。
翌日になり、急に気が変わってやはりあの帯が締めたいとか、前回も同じ着物だったかも知れないなどと思い出し、急遽変更になることもしばしばあります。
そうすると一旦決めたコーディネートをやり直さなくてはならず、着物から変えなくてはなりません。
箪笥の下の方にしまってある場合は、畳紙の中でうっかり袖などが折り込まれてしまっていたり、変なところにしわがあったりするのですが、伊と幸の白生地で誂えたものはそれがありません。
シワの修復力が強く、一日適当に丸めてほって置いたとしてもシワにはならないのです。
ですので、しばらく着ていない訪問着であってもすぐそのまま着用できるのです。
また茶会などの長い正座の時間の後もシワが出にくいのです。
私の持っている伊と幸さんは主に訪問着、道行などですが、普段着も何点かあります。
つや感があって落ち感のある高級な白生地から作った小紋は着痩せするようにも思います。
大人のカジュアルとしては贅沢ですね。
私は丹波布が好きで織までやってしまった時期があります。
現在は目が悪い(いわゆる老眼です)腰痛持ちであるという理由で完全に断念しています。
(米沢の新田さんで作って頂いた小型の織り機は今でもよく使っています)
丹波布は江戸時代末に始まった織物ですが一旦途絶えてしまっています。
それを昭和初期に民藝活動家の柳宗悦氏と上村六郎氏が復興させています。
私はもともと染めから着物の修行に入っているので、当時上村六郎氏の草木染めの資料を集めていました。
染めの勉強をしていく中で、素朴で力強い丹波布の草木染めの色と織の魅力にはまり、また後に白洲正子の本でも知ることとなりました。
丹波布はそれまでは佐治木綿と呼ばれていて、その時代の木綿丹波と、現在の丹波とは若干異なります。
そこを書き出したら終わりそうもありませんのでそれはまた後にして、足立康子さんについて。
足立康子さんは丹波布の復興と技術を守ってきた丹波布伝承の第一人者ですが、88歳でお亡くなりになりました。
復興までの道のりなどが綴られた「丹波布に魅せられたひと」という本を出版され、その本を何度も繰り返し読んでいるうちに私も織をやりたいと思うようになり(笑)それからの2年ぐらいは織と真剣に取り組みました。
しかし目が疲れると頭痛やら肩こりなどが出て、なかなかハードな仕事なのだと体で理解しました。
ですが少なくとも何点かは自分の作品を作ることで、着物の仕事上理解力も深まり今でもその知識が生かされています。
また織り手の苦労を自分の体で知る事で、手織りの適正価格や、後継者が少ないなどの問題も考えるようになりました。
私の帯は福永世紀子さんの木綿です。
福永さんは綴織の人間国宝 細見花岳さんのもとで修行後に丹波布と出会います。
木綿の持つ素朴さや優しさ強さなど、様々な魅力を持つ布に惹かれ丹波に移り住んで作品を作り続けてきました。
銀座もとじさんの個展などで拝見してからいつかは欲しいなと願っていましたが、今回ひょんな事から縁あって私のところに来てくれました。
願っていれば必ずご縁はあるものだと申しましょうか(笑)
福永世紀子さんについては銀座もとじさんのサイトに詳しく載っています。
https://www.motoji.co.jp/blogs/reading/waoristory-fukunagasekiko
現在は故郷の高知に戻り工房で作品を作り続けています。
そして現在私にとって丹波布の美しさの表現を含む独自の木綿織物の作家さんとして懇意にさせてもらっているのが「中里ようこ」さんです。
家庭の主婦でもある彼女の、大切な時間を費やされて作り上げる美しい手織り木綿はまたゆっくりご紹介致します。
和のパーソナルカラー診断士育成クラス12期の募集要項についてはこちらに記載してあります。
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