戦前の昭和着付け
普段着の着付けを研究しています。
時代としては大正から戦前の昭和の時代です。
大好きな沢村貞子・幸田文・谷崎松子(谷崎潤一郎夫人)の着物姿は気張っていなく自己流でゆったりしています。
前々から準備していたのではなく、ちょっとひっかけてきたような適当な着付けが大人だなぁと思っています。
元々昔の人は着付け教室などに通うことはなかったので、好きなように着ていたのです。
祖母も叔母も同じように自分の好きなように着ていましたが、その姿が当たり前の私にとって今の着付けは毎日が訪問着のようでもあります。
フォーマルの着付けと普段着の着付けは違うものだと教わりましたが、今は紬でも木綿でも同じ着付けになります(私もずっとそうしてきました)
崩す着付けは随分前から挑戦していますが、現代のしわひとつない着付けが正解の中で、なかなか外出する勇気もなく時間が経ちました。
しかし今の年齢で崩しておかないと若い子と同じ着付けになってしまうのが嫌でしたので、ここは思い切って(笑)
ポイントは、衣紋は抜きませんが衿前は詰めると苦しいのでゆったりと。
着物ブラジャーはしていません。(胸は下がりつつも結構しっかりあるタイプです・・決して自慢ではありません)
その代わり胸が目立たぬように着付けた後に前にタックをとってあえてしわを作っています(洋服でも、シャーリングやタックがあるとお腹の出っ張りが目立たないので)
帯あげは何の処理もせずにただ結んでいます。
この帯揚げのぐだぐだ感が胸の膨らみへの視線をそらせています。
逆に帯揚げを綺麗にきっちり結ぶ場合は着物ブラジャーで胸を潰さないと美しくなく老けて見えます。
帯あげは帯にかかるように出しています。
帯板はしていません。
帯あげの中心と帯締め中心をずらしています。(これは揃っても良いと思いますが、幸田文がいつも帯締めをずらして締めるので私もやってみました)
お端折りは上げずに2重にしてありふっくらさせています。(もう少しふっくらしたいので、薄く綿でも入れようかなと)
帯締めが長すぎるので、古いものをネットで探さねばなりませんね。
A型で神経質な性格の私にとって、この姿は何ともムズムズしますが、偉そうに「どうだ〜」という胸が張った着付けよりも優しく女らしい気がします。
できればもう少し半衿にシワが寄った方が良いのですが、次回の課題とします。
半衿がシワなくビシッとしている女性は隙がなく女らしさが感じられないと、何かの昔の本で読みました。
着物姿は威圧感を感じて怖いという人がいますが、それは着付けがあまりにビシッとし過ぎているからかなと。
普段着の祖母や叔母はいつもリラックスしていてゆったりと着ていました。
あの姿が好きでしたね。
人間の体は普通凹凸があります。
着物をピシッと着ればボディコンシャスのように凹凸がしっかり出てしまうので、胸とお腹とお尻に合わせて補正を入れますが、それでは全体に太くなり、なんだかマジンガーZのように・・・(例えが古くてすみません)
私の世代は洋服でもあえて崩して着る方が格好良いという時代でしたので、今回は着物版ラフな感じとでも言いますか・・。
洋服はラフな感じで崩せても、なぜか着物になった途端、絶対に曲がってはいけないし、衿は何センチ出して、お端折りはこのくらいでなどど厳しく言われ、動いて生活していれば所詮乱れてくるのは当たり前ですが、絶対着崩れしないような着付けを習得しなくてはならなかったりと、随分と工夫してきました。
その為のアイデア商品・着付けグッズは沢山あります(汗)
着付けはとてもシンプルな物なのに、それらのグッズで余計難しくややこしくなっている気もします。
最近仙台放送の収録の帰りに、講師の本郷と話したのですが、着付けばかりに集中して、着物を楽しめない人が多い。
今日は着付けがうまくいかなかったとか、帯がうまく結べなかったとかそんなことばかり気にしている。
着物が好きより、美しい着付けを学ばなくてはならないという事で既にハードルが上がっている。
確かに私の弟子でもそのような人が多い気がします。
で私なりに普段着姿をようやく完成させ(これが案外時間がかかったのです)そんなに神経質に着なくてもいいのだよと発信出来たらと。
雪乃先生の普段着は結構ぐたぐだしてるわよ・・。と言われれば初心者の方もハードルは低いのでは?
とはいえ、美しい着付けを教える着付け教室の存在はそれはそれで必要でありますね、まず基本を覚えなければ崩すこともできませんので。
また、自分の内面に強さがなければ出来ないかもしれません。
誰に何を言われようとも私はこのスタイルで通すという我の強さか、私のように自分は非常に変わった人間だと認めないと難しいかもしれませんね(笑)