キモノのこと

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エドシカルチャンネル「お江戸総本家」のお知らせ

2021年5月10日 20:19  




単衣の時期に必ず着るのが丹波布。

この着物はすっきりとしていて、いつ着ても新鮮な気持ちになる。

長い間はんなりとした雰囲気で優しく着こなすことが多かった私には、好きと似合わないとの境目をなんとか無理やり合わせてきた一枚である。


今までは女性であることが一番最初に私を表す言葉であったが、今は女性であることよりも、一人の人間としてどう生きるかということが前に来るので、紬のキリッとした素材感と仕立ての良さは、自分という存在を一番バランスよく表現できていると思っている。

着物は大人の女性のためにあるものだという考えはここ最近特に感じる。

服を着るとどこか未完成で頼りない自分になってしまうが、着物を着るといくらかそれよりはましになるようで、なんとか先生でいられる。

今日の姿にどこにも甘さはないように思われるが、実は甘くしてある部分がある。

いつもより多めに出した帯揚である。(これは三浦清商店さんで染めて頂いた)


今までは結ばずに挟み込む形で帯揚げを処理することが多かったのだが、今日は久しぶりにふっくらと結んで見た。


お昼から友人のギャラリーにお邪魔したのだが、今の時期なので他の方と重ならぬよう時間制になっている。

静かにゆっくりと作品を見れるのはとても良い。


先週まで仕事がびっしりと入っていて忙しかったので、今週は義父母のお寺に伺い武相荘でお茶でもしてこようかと思っている。

しかし私の年の頃の白洲正子と比べ、今の自分の考え方や行動のあまりの幼稚さに時折恥ずかしくなるが、一生もう成長せずにこのままなのだろうかと思うと気が焦る。

何を学んでも何を身につけても本質は変わらず、残りの人生で劇的に自分を変えることなど出来ないのであるから、逆に恥を晒してしまった方が楽なのかも知れない。

緊急事態宣言も延長になり気が滅入る人も多いと思うが、江戸時代は長屋の人達で助け合って生きてきた。

少し前までは隣近所にお醤油を借りたり、味噌を借りたりするご近所付き合いがあった。


お金がなくてもなんとか助け合って生きてこれた時代のことを考え、この度エドシカルチャンネル「お江戸総本家」を開設しました。

古民家でエネルギーをなるべく使わずお金をかけずそれでも楽しい日々の暮らしを考え、こんな時代だからこそちょっとした息抜きとして気楽に楽しんでいただけたら幸いです。

エドシカルチャンネルhttps://youtu.be/Um3Hn_49XA4

チャンネル登録もよろしくお願いいたします。


また弟子たちの日々の着物生活をご紹介する着物サロンhttps://edothical.org/pg3392560.htmlを更新しています。

どうかお時間ありましたらご覧ください。





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