聚光院へ
人は弱いものです。
自分で決めた道であっても、果たしてこれで良かったのだろうか、間違いはなかったのであろうか、この一年自問自答を繰り返し思い悩んで参りました。
私に選択できる道は二つしかなく、お茶をやめるのか、どんなことがあっても続けたいのか。
もし続けるという選択であっても、その先は険しく難しい道であるとわかっておりました。
今までの全てを捨ててゼロからの出発をしたとしても私自身がお茶と向き合った時間が全てなくなるわけではない。その思いだけで前に進んで参りました。
先週、月光庵の岩波先生と社中の皆様と共に聚光院へ利休さんのお墓参りに伺いました。
聚光院は千利休の菩提寺でもありますが、茶道三千家の墓所として毎月28日利休の月命日に三千家が持ち回りで法要を営み、茶会を催しておる特別な場所でございます。
茶人にとっての聖地でございます。
利休さんのお墓の前で自分の今後をきちんと報告したら良い。
そんな風に先生に言って頂きましたので、この12月を自分の中の気持ちの一区切りと決めておりました。
お参りの後、聚光院の庫裏にて小野澤虎洞住職様とお食事を共にさせて頂くという大変貴重なお時間を頂きました。
利休忌の際にご住職のお姿を拝した事はございますが、庫裏にお伺いできるとは夢のような事でございます。
住職様が1日かけてご用意してくださいました数々のお料理は、朝早く畑に赴き野菜をとり準備してくださったそうで、新鮮なものを食べさせてあげたいという気持ちからであるとお聞きし胸の詰まる思いでございました。
(実はお風呂もご用意してくださっておりまして、宿泊のことまで考えてくださっていたようです)
私については先生からは特に詳しく話さず、月光庵に入門した簡単ないきさつと紹介をして頂きました。
すると突然住職様がこちらに向き直り、私の目をじっと見てこうおしゃいました。
「それでよろしい」
「違っていたと感じたら方向転換をする事」
「だからそれでよろしい」
「今のその選択でよろしい」
その瞬間背中から大きな岩のようなものがぐうっと剥がれ落ち、この一年の中で初めて深く呼吸ができたように感じました。
涙がポロポロ流れました。
私はずっと不安で怖くて苦しかったのだと思います。
お茶が自分の人生からなくなってしまったらどうしようと・・・・。
聚光院のご住職の言葉は私にとって利休さんの言葉と同じでございます。
利休さんに、「それで良いのですよ」と言われたような気がいたしまして、靄がかかっていた目の前の景色が明るく鮮明になっていくような気持ちでございました。
中学一年生で、初めて茶室に入ったあの瞬間からお茶が好きだった時期、嫌いになった時期、面倒だったり、心の支えになったり、出産や仕事で離れたり、再開したり、様々な歴史と共に歩んで来ました。
何故お茶を続けてきたのか、続けていかなくてはならないと思っているのか。
あの日、住職様からあの言葉をいただくために私はここまで歩んで来たのかもしれない。
そんな風に思う夜でございました。
翌日は早朝から大事なお仕事が控えているという事でしたのに、夜遅くまでご一緒してくださり、いろいろなお話をしてくださいました。
その時のお話を帰宅後にじっくりと時間をかけメモにとり、言葉の一つ一つを自分の中に落とし込んでおります。
道を示してくださった岩波先生には深く感謝いたしますと共に、聚光院にご一緒してくださいました社中の皆様方には深く御礼申しげます。
生涯をお茶と共に。
令和元年 12月29日