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自分なりの美意識の育て方

2019年5月24日 08:59  



鎌倉校の開設準備やお稽古などで鎌倉にいることが多いのですが、最近父の残した刀の関係で古美術の見方や知識など様々な先生方より学ばせていただいております。

美術関係の先生は遠州流、鎌倉の先生は裏千家流、古裂や骨董の先生は表千家流、野の花の先生は石州流と各先生方のお茶の流派が違いますのも、大変興味深く面白いことでございます。


ここのところ自分なりの美意識を確立したいと思っておりまして、まだまだ学びたりない部分が多く、亡くなった父から古美術に関してはもう少し学んでおくべきだったと今更になって後悔する日々でございます。


年齢と共に、こだわりが強くなり、美しいもの、美しい事、美しい動作、美しい思考、全てにおいて美しい事を優先したいという思いが強くなりました。

若さがない分、感性の美しさを積み重ねていかなければなりません。


美しさはお金をかける事とは相反することでございますす。


綺麗なものはお金で買う事が出来ますが、美しいものは買えません。

綺麗な物ばかり、高価な価値のあるものばかりをを身の回りに置きますと逆に美しさから離れていきます。

美しさは見た目でなく精神性を伴うものです。


目で見るのではなく心で問いかけるもの。

その問いかけ方を古美術の先生から教わった時の感動は忘れられません。



見栄を張ったり、格好つけたり、他者からの評価を気にしたり、小さなプライドに拘ったり・・・。

そんな自分では美しくなれない。

常にそう思うようにしております。







先日、特別な場所ではありませんが、許可を頂き、自然に生えている無農薬のお茶の木から葉を摘み取らせていただきました。

帰宅後、蒸してフライパンで炒り、乾燥させましてお茶を作りました。

沢山作りましたので、冷凍庫に保存し、しばらくは楽しめそうです。


柳桜園、一保堂などの香りのよい美味しいお茶はお金を出せばいくらでも買う事が出来ます。


自分の手で摘み取り手をかけたお茶は、香りも味も自然のままで特に際立っておりません。

ですが、優しくて尖ったところがなく、心が穏やかになります。


昔、茶は薬でございました。

嗜好品でなく、体を治すもの。

日本の風土に根差した木から得る旨味は、免疫力や治癒力などを上げてくれる力があるように思います。


高価なお茶を特別であるとお客様にふるまう事より、手をかけて心を込めて作った自分のお茶を出す。


それが私流の美しい事だと思っております。




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