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人生100年とお茶の事

2019年7月16日 11:26  お茶のこと



五木寛之先生の「白秋期」という本を読んでいます。

50代後半から75歳までは自分らしく生きる最良の時期であったと。

人生50年から人生100年といわれる時代に、まだまだ新しい挑戦や学びの時間はこれからなのだと、とても前向きな気持ちになる本でございました。


ふとこれからの自分自身について考え、一つの区切りに、今までどのようにお茶と関わってきたかを思い返してみました。


祖母と叔母は裏千家でしたので、私が譲られた着物には八卦に叔母の茶名が入っております。

小さいころ、祖母と叔母の社中の方々には大変可愛がっていただき、女の子でしたので皆様の旅行などにも連れて行って頂きました。

糖尿病を患っていた祖母は私を連れ歩くことで、和菓子や、懐石での水菓子などをかわりに食べさせており、私はお菓子でお腹がいっぱいになるのでご飯をあまり食べず、父がいつも文句を言っておりました。


中学高校は、千葉にあります和洋女子大学付属国府台女子中学校に入り、高校卒業までの6年間、ほとんど同じ敷地の中だけで過ごしました。

いくつか受験いたしましたが、父が一番校則の厳しい、都心から離れた寮の完備されている女子校を希望していました事、また学業の時間が少なく、茶道・華道・琴・和裁・調理などが殆どを占めている学校である事などの理由で、有無を言わさず入学が決められました。


広大な敷地の奥に茶室があり、私は入学と同時に授業だけでなく、部活としても学ぶことになりました。

表千家であることも重要で、祖母は他流を学べという事でございました。


最初の1年ぐらいは庭の掃除と、床の雑巾がけ、布巾などをを縫うだけでして茶室にも入れません、お菓子も水屋で頂いておりました。

冷暖房などなく、夏の暑さはなんとか我慢いたしましたが、冬の寒さは厳しく、掃除も冷たい水しか使えませんので辛かった記憶がございます。

先生はご高齢でしたが、厳しさのなかに優しさがあり、着物姿の美しい女性でした。

今の私は幼少の頃の祖母の教え、学生のころのお茶の先生によって土台が形成され、大人になりその上に色々なものが重なってまいりましたが、所詮はあのころと何ら変わりありません。


20代の中盤に表千家のお茶を再開する機会があり、子供を産むまで休み休みでしたが続けました。

その教室は火葬場の前にある電気屋さんの2階でした。


一日中、人が燃やされ煙となっていく様をみながら茶を点てる時間は20代の私には重く、またバブル時期にあって、大変質素な先生が理解できずにおりました。

しかし、今となってあの頃の先生のお言葉が大変心に染み入るのはなぜでしょう・・・・。

お茶を学ぶ人間として何が大事であるかという精神論はその先生より学んだことでございます。

死と向き合う環境の中で禅の思想を学ばせていただいたのだと大変ありがたく思っております。


そして子供がある程度大きくなりましてから、武者小路千家に入門いたしました。

尼寺で精進料理を学んだり、お香を学びましたのもこのころになります。

大きな茶会や、華やかな茶会での点前を沢山経験させて頂きました。

それは私のお茶の人生の中で唯一外に向けての発信でございました。

毎日が忙しく、点前を覚える事、また社中のみなさんの取り纏め役として奔走する日々でございました。

濃縮された貴重なお時間であったこと、それを経験させて下さった先生には大変感謝いたしております。



50歳を過ぎ、ようやく私も今までの様々な経験をまとめる事、また更に新しい学びを始める事を考えておりましたところ、

鎌倉月光庵の先生にお会いして、伝統色彩士協会の鎌倉教室を開くことととなりました。

懐石・お香・染色・着物・茶は一本の糸で繋がっております。

私の中のパズルが組み合わさって、独自の世界を作っていく時期になってまいったのだと思います。



裏千家・表千家・武者小路千家と3つの流派を学びましたが、元は千利休一つにございます。


現在は指先の使い方、手首の使い方などに注意し、美しく柔らかな点前と呼吸、女らしい所作と能のような無駄のない動きの追及に励んでおります。

また茶室に映える着物や、色無地の染。

季節ごとの香の調合や、織の事、茶の点前などを考えた着付け方。

茶花の育て方、入れ方など。

お休みしている精進料理なども再開せねばと。

私自身もまだまだ学びは続きますが、仲間と共に喜びの時間を分け合えればと思っております。



有明教室の皆さんにもお香を学ぶ回がございます。

楽しみにしててくださいませ。





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