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始まりの家

2019年5月15日 15:02  



暑くなってまいりますと、さっぱりとした色や、帯回りなどを同系色にいたします。いくぶん涼やかにみえるようでございます。


私が白洲正子に憧れて着物生活に入ったことは、長い間ブログを読んでくださっている方であれば今更のような話でございますが、彼女が銀座の「こうげい」を知人に譲り、執筆活動に専念いたしましたのが60歳の少し前だったように思います。

彼女の生き様などは、なかなか私には理解できない部分もございますが暮らしや着物についてはとても憧れておりました。


町田の鶴川にある「武相荘」を何度も訪れ、私も自分なりの暮らし方のビジョンを長年描いてまいりました。

晩年は白洲正子のように、こんな暮らしがしたい。


しかしそれは都心のマンションではなかなか難しいことでもあり、かといって古民家に住むには仕事も含め現実的ではなく、なかば諦めていたことでもあります。


ひと月ほど前、義母が亡くなりました。

そして急ではございましたが、引っ越しをすることとなりました。

義母は神道ですので、家には大きな神棚があり、先祖代々の家の守り神が鎮座しております。

家を不在にすることは神様に申し訳なく、いそいで引っ越ししなければならないと家族で話し合いました。



新宿、渋谷までは25分程、駅からは歩いて5分と便利な場所でありますが、大きなお寺さんの前を通りとても静かな住宅街にその家はございます。都内でも少し離れますと本当に静かな暮らしができるものです。

白洲正子と同じ小田急線沿線であることも、不思議な気がいたしました。

通夜の際は、お寺の桜が見事でございました。


義母が知り合いの大工さんにこだわって建てて頂いた日本家屋は一見贅沢なように見えないのですが、ふすまや建具など、大変美しいものも残っております。補修用の瓦も40枚程ございました。

趣味もなく、贅沢もしなかった義母ですが、家だけが義母のすべてでございました。


建て直しを希望していた夫や娘の意見を無視し、私は義母との約束通り、耐震と水回りの最低限のリフォームのままで済むことに決めております。

武相荘のような茅葺屋根の古民家ではございませんが、床の間のついた和室の外はちょっとした庭があり、雪見障子からは美しい四季折々の草花が静かに咲いております。

ここでお茶を点てながら、大好きな本や着物たちに囲まれて暮らしていくことは昔から決まっていたことのように思いました。


最初に住んだマンションは青山の骨董通りの終わりぐらいにある、白くてかわいい建物でございました。

それから娘の学校の為に広尾に移動し、そのまま長く住みました。

麻布、六本木、表参道、どこにもお散歩で歩いて行ける距離であり、ご近所は芸能人の方ばかりでいつも娘がびっくりしていた事を思い出します。

大人になった今では、もうどなたにお会いしても驚きもしませんが・・・(笑)


新しいお店、流行りのお店などが出来ては消え、出来ては消え、街の様子が変わっていくサイクルがここ数年とても早くなりました。

半年ごとに変わっていく街並みをみながら、今いる場所が自分に適していないと思うようになったのは1年ぐらい前でございます。

そして大好きだった青山骨董通りが、寂しい通りになり、近いのに足が遠のくように。


生き方や、暮らしや、価値観が、今おります環境と合わないことを少しづつ感じておりました。



遺品の整理中、義母の部屋の桐の箪笥からしつけ付きの可愛い長襦袢や訪問着が出てまいりました。

私よりもうんと小さい義母のサイズではなく、羽織ってみたら私のサイズでぴったりございました。


お嫁に来た22歳のころにきっと作ってくれたのでしょうか。

可愛らしい下駄やバッグなども箱に入ったまま。30年の年月が・・・・。


優しや思いやり、愛情は失ってから気づくものと、しみじみ思う日でございました。


このままこの家を引き継ぐことが、母への供養と思っております。


思い描く「完全な自分」にすこし近づいたような気がいたします。

ここからまた新しい私が始まります。


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