中国製と日本製の違い〜美しい手紙
右が中国製の山葡萄の籠です。
3年ぐらいたちますが、全く色は変わりません。
購入当時のままです。
少しパサパサしてきまして、時々着物に引っかかることがございます。
重さもあります。
左は山形産の山葡萄です。
毎日毎日大切に使っていたら、一年で深みのある濃い色になりました。
しっとりと柔らかくなり表面が滑らかになりました。
とても軽いです。
山葡萄は子供と同じ、育てていくものと教わりました。
作家さんのものでなく、農家さんのものを買いたかったので、何年も待ちました。
畑仕事の暇な時に山へ入って、地元の人しか知らない場所で山葡萄の蔓を採取し、また畑仕事の暇なときに編む。
量産ができず、いつ自分のもとに来るのかわかりませんでしたが、ようやく順番が来た時は大変嬉しく、子供を授かったような気持ちでございました。
多くを持つのが苦手ですので、今はこの籠と、小さな布のバッグがいくつか。
ですがほとんどこの籠しか使っておりません。
中国産の方は、マガジンラックとして使っております。
購入した時は違いがあまりなく、値段は倍以上いたしますので、どう違ってくるのかしらと半信半疑でもありましたが、年数が経てばきちんと答えは出てまいりました。
中国製のものが悪いというわけではありませんが、日本のものは嘘偽りなく、正直な品物で素晴らしいと改めて思います。
昨日弟子が美しい手紙と本を送ってくれました。
彼女は書道の先生です。(六花舎主宰)
書にも色々あり、個性的な字を書くアーティスト性の強い方や、学校の書道のように正しく美しい字を重視する先生まで様々な先生がおります。
彼女の字は、そのどちらでもないように思います。
正しい美しさの中に、女性らしさや優しさがあり、とても高貴な字体であると思っております。
源氏物語の時代でしたら、全ての殿方が彼女をお慕いしたでしょう。
その当時手紙は、教養や美しさなど全てを表現する大切なものでございました。
字は体を表すと言います。
字でその人の内面の全てがわかってしまうということでございます。
こんな時期だからこそ、美しい手紙は私の心をとても癒してくれました。
彼女の思いやりや優しさを深く感じ、温かい気持ちになりました。
ブログには書きませんでしたが、少し前に娘が言葉の実験をいたしまして、優しい言葉を書いたお米と、ひどい言葉を書いたお米の腐食の経過を見るということがございました。
驚いたことに、ひどい言葉のお米はドロドロと溶けてしまい、優しい言葉のお米はしっかりと粒が残りました。
このことを個人のFacebookに書きましたら、それと同じような内容の本を送ってくださいました。
読んでみまして大変驚きました。
なぜコロナというたった一つの細菌が世界を変えてしまったのか。
その答えが実はこの本の中にあったのです。
私達は今、恐怖のメッセージを毎日毎日送られております。
そのメッセージが知らないうちに身体を蝕み、病へと移行しないかとても不安です。
今はコロナと戦うだけではなく、恐怖のメッセージや、誹謗中傷、いじめなどの世論とも戦わねばなりません。
自分に向けられている言葉でなくとも、見ること聞くことで影響されていくのです。
今までは同じ意見を共有できる友と顔を合わせ語らうことで、心はほぐれてまいりましたが、今はそれも出来ません。
映像でお話をしたとしても、実際お会いする時の波動のようなものは交換できません。
せめてこのブログでは、皆さんが少しでも気が楽になってくださるようなことを書いていきたいと思っております。
弟子たちの愛や、庭の草花の生命力や、川の水の流れなど、様々な身の回りの命と共存することで私は生かされているのだと気づかせていただける本でございました。
当たり前のように息をして、生きていること。全てにもう一度感謝の気持ちを。