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母の病気と着物の決まり事

2018年5月10日 10:57  

生徒さんや、友人などが我が家にくると、あまりに物がないので驚きます。


今流行りのミニマリストを意識しているわけではなく、


父が亡くなり、実家の両親の荷物を片付けるのに2年もかかり、高額の費用がかかってしまったことと、母が難しい精神疾患病にかかり、入院を余儀なくされてしまったことが重なり、物を多く持つことに疲れてしまうようになりました。


何年か前、母は調布にある大きな専門病院に入院しました。

病名はきちんとあったように記憶していますが、そのころの私は、日々忙しい仕事を抱え、母の入院と父の末期がんという次々とふりかかる事に何とか対処しているというギリギリの精神状態で、あまり記憶していないことが多いのです。

「服がないない病」

先生がこう言っていたことだけを覚えています。


母は、とても几帳面な性格で、いい加減なことや曲がったことが許せない人です。


私が持っていく春先のセーターに、紅葉の柄が入っていると、これは秋に着るものだから今は着れない。

夏のブラウスに桜の刺繍が入っていると、これは桜の時期だけだから今は着れない。

このカーディガンは麻が20%入っているから、GW前に着たらおかしい。

この靴下は透かし編だから夏物、冬に履いたらおかしいわ。

このショールの色は明るすぎるから春先にしか使えないわ。

何も着れるものがないわ!!助けて!!と毎日電話で泣いていました。


私はそのつど着るものを買い、母の病院に届けますが、その時は喜ぶものの、夜にはまた電話がかかってきて裄が長すぎる、肩幅が合わないなどど理由をつけ、何も着るものがないとまた泣きます。

そのうち母の狭い病室は季節ごとに分けた洋服の段ボールが何十箱も積み上がり、異様な状態になりました。

病院の寝間着の身幅が合わないからぴったりしたものを作ってほしい。

そういわれ、縫ってもらったこともあります。


着るものや持ち物を沢山持ってもどこか満足しないのは、心の問題ですと先生に言われました。


物が増えれば増えるほど、自分の価値がものによって評価されているのだと思い込み、だれよりも良いものを、きちんとしたものを、恥ずかしくないものを・・・と渇望していくようでした。


まわりのお友達から、いつも良いものをお召しになっているわね、おしゃれね、素敵ねと言われるたびに、母はプレッシャーを感じて心が焦り何を持っていても、どんなにたくさんあっても、不安になってしまうのです。

そんな母を理解できず、私は随分衝突してしまい、百貨店の店内で車椅子で一人では帰れない母を、もう知らないと突き放そうとしてしまったことがありました。


何もなくても、そのままで素晴らしいという承認を周りから繰り返し得る治療で、良くなり、現在は小さなクローゼット一つでも物が多いから適当に処分してねというようになりました。

今は暑いも寒いも日々変化するのだから、いちいち時期に合わせて着る必要はないわね。

その日の気温で決めるしかないわね。

そんな風に言うようになりました。


母の病気を経験して、物を多く持つこと、決まり事に振り回されること、そんな自分も反省したのです。

母の病気は大変でしたが、今後私が生きやすくなるための大きな教えでした。


そして私も決まり事はお茶の時だけ守る。

それ以外は自由にする。

としています。

お茶の決まり事を守るのも、気持ちがピシッとひきしまり良いものです。

なんでもかんでも自由にすることが私には難しいので、今のバランスが丁度良いようです。



お気に入りの丹波布単衣に森田秀子の帯です。


紬は、季節感や素材にあまり気を使わなくてよいので、あいまいが通じる便利な着物です。

しっかりした紬なら通年単衣で良いですし、この丹波布などは横糸に綿が入っているので、盛夏と真冬以外は好きな時に着ています。

帯揚げも薄めのちりめんを通年使っていますし、帯締めも以前は夏用を使用していましたが、今は通年使っているものが多いです。

茶会以外の稽古には、好きなものを着ています。


とにかく少ないものでうまく回していきたい。

そして本当に好きなものを手元にすぐわかるように置いておきたい。

いつもそう思っています。


以前は着物部屋もありましたが、今は畳2畳分の収納でそれ以上増やさぬようにしています。


すっきりと美しい暮らしが、すっきりとした着姿につながるのではないかと言い聞かせ、ふと気が緩むと物が多くなりがちな自分の性格と日々格闘しています。


 
 
 


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