コロナ時代を生き抜くために
8月10日の講師浴衣会の写真です。
今回は2班に分かれての開催です。
次回のクラスは23日に開催です。
コロナ感染者数が増えて、東京だけでなく大阪もクラスターなどが発生しています。
コロナがいつまでという予測は立たず、経済が立ち直るのは何年後かという予測も立ちません。
これが今わかっている現実です。
そして、もう一つ、私達はギリギリのところにいて、コロナに潰されるのか、持ちこたえるのかという瀬戸際に立たされていることも現実です。
国がどうにかしてくれるという問題でなく、個人で戦わなければならない問題です。
数日前に「紅ミュージアム」様からメールをいただきました。
9月開催の講座が満席で、キャンセル待ちであること。
コロナ禍でほとんど宣伝も出来ず、開催できるのかさえもわからず。
こんな最中にも先生の講座の人気ぶりに、大変驚いていますというような内容でした。
ありがたいことです。
また、コロナ時代に立ち向かい、順応しようと精力的な活動に頭が下がりますとのお言葉をいただきました。
こういう評価は本当に嬉しいものです。
人は思った通りにしか生きられません。
絶対に幸せになると強く願えば幸せな人生を歩めます。
ではなぜ幸せを願ったのに、不幸な人生を歩むのでしょう。
それは、もしかしたら不幸な人生になるかもしれないという少しの心配を心の奥深くに大事にしまっているからではないでしょうか。
そして不幸がやってくると、嬉々として「やっぱりそうか!!」
「人生なんてそんなうまくいくわけはない!!」
「いつかこんな日が来ると思っていた!!」
「私の予想はやっぱり当たっていた」
まるで予言が当たったかのように得意げになるのです。
ネガティブな事を待っているもう一人の自分という存在です。
「常に不測の事態が起きたらどうするかという危機管理を持って生きてきた。だからこういうことは想定内である。もし現実に起きたとしたら頭を切り替えどう対応していくか、きちんとシュミレーションしてきたから、うろたえることはない」
そんな風に強く立ち向かう人もいます。
もしくは、全く想像もしていなかった病気などになった時。
最初はただただ驚くばかりで受け入れられなくとも、やがて、ああ、あの時のストレスが引き金だったのかもしれない。あの頃の不摂生が原因だったのかと、すぐにそう思うようになります。
こんなことをしていたら病気になるかもしれない。
精神的に潰れてしまうかもしれない。
両親が早くなくなったから、自分も短命かな。
同じ病気になる遺伝子を持っているのではないか。
そういう不安が具現化されて、自分の人生に起きたということです。
もっとも正しいことです。
思い続けたことが現実になっただけですから。
それも別の意味で願ってきたもう一つの人生なのです。
人は幸せと不幸せの両方を生きようとしているのです。
コロナに負けて、景気が悪くなり、生活が苦しくなり、仕事がなくなり、自分や家族が病気になり、犬や猫も病気になり、日本がダメになって、地球の環境もますます悪くなり、災害ばかりが続き、新しいウィルスがまた発生して、その時はもう人口の半分が重症化して、いよいよ大きな地震が来て、全て終わるわ。きっと。
そんな風に思ったことはありませんか?
友人の最近の単語をまとめてみました(笑)
私はこう考えています。
コロナのことで成長する企業やダメになる企業がはっきりしてくる。
今までと同じ考えで仕事をするのではなく、新しい何かを提案していこう。
景気が悪い時こそ新しいチャンスも見えてくる。
皆が幸せに思える楽しいことを作っていこう。
最低限食べていくことでは日本は恵まれている。
今は自分の畑で農作物が毎日収穫できて、水も豊富である。
新しいウィルスが出てきたら徹底的に戦えるよう、免疫を上げておこう。
地震がきたら寝ている間に潰れないよう、荷物や家具を減らしておこう。
私はまだ食べていける。
だから食べれない人になるべく手を差し伸べよう。
綺麗な地球を残すために小さなことでも努力しよう。
自分だけが助ければ良いという考えではお客様も、人も離れていく。
購買は、商品価値でなくヒトによって左右される。
この人から買いたい。
この人から学びたい。
この人に会いたい。
そう思ってもらうことがビジネスになるのです。
殿様商売は通用しません。
一つ買いにきたのに、二つも三つも物を売りつけたり、契約をさせたり、3の内容を10にも見せて販売したりセミナーをしたり、そういう商売は淘汰されます。
表だけニコニコして、裏で毒を吐くような商売もこれからの時代は見抜かれていきます。
なんとなく雰囲気でお金が入ってくる仕事も無くなります。
楽しそうにしている人から物を買ったりお会いしたりするのは積極的な気持ちになりますが、帰った後にボロボロに言われたり、不平不満ばかり言っている人やお店からは何も買いたくはありません。
これからは本物だけが残る時代になるのです。
技術だけのことではありません。
人として本物という事です。