自分で長襦袢を染める
今年弟子が送ってくれた椿で染めました。
落ちてしまった椿を拾って絹に色をうつす。
捨てるもの、朽ちていくものにも色の命は残っているのです。
人は変わっていくものであり、それが自然な形です。
水の流れが滞ってしまえば濁ってしまいますし、血液の流れが滞れば病気になります。
変化することは健康である証拠であり成長することでもあります。
伝統色彩士協会を立ち上げた時は、着物文化を若い人に繋いでいってほしいという思いがありました。
また沢山あるリサイクルの着物から自分に似合う色や柄を選び、それがわかったうえでお誂えに進む。
または親などが残してくれた着物をどうやって着るか。
そのために自分に合う着物を知ることが和のパーソナルカラーの出発点でした。
あれから時代は変わり、今はものを所有しない事が良いとされ、リキッド消費が広まりつつあります。
時代を築いた業界大手のたんす屋さんが無くなった事が結局変わり目であったように思います。
今は自ら所有するのでは無く、レンタルやシェアリングを利用する事が主流です。
実際私も映画や音楽、本などもサブスクリプションで済ませています。
昔のようにCDや本を所有するのでは無く、定期サービスでネットで済ませています。
どうしても手元に置きたい本だけは所有しています。
趣味性の高い日常着物だけは所有の選択しかありませんが、本当に気に入っている数枚の紬を着回す生活にシフトチャンジするよう、少しづつ減らしています。
ネットやリサイクルで手軽に買えるからと次から次へと購入してしまう人も多いと思いますが、結局は物に押しつぶされて苦しくなります。
SNSの影響で常に新しい着物姿を投稿せねばと、そのためだけに買ってしまう人もいますが、大変だろうなと。
洋服もメイクも同じだと思います。
何かにせき立てられるように購入する時代ではありません。
ちょっと止まってみる。
ただ着るというだけでなく、そこに自分なりのアクションを加えて着物生活を受け身でなく自ら切り開く方向はどうだろうか。
それは着付けやコーディネートという既存のものを動かすのでは無く、長襦袢を自分で染めたり、八掛を染めかえたりとある意味ゼロから加わるということです。
その先に帯や色無地を自分で染めれるようになり、褪せてきたら再度染め直すことも。
職人が減って、自由がきかなくなっている業界で自分ができることは何だろうか。
そんな風に考えて頂きたいなと。
仕立ては時間もかかり、老眼になりつつある私には厳しいものですが、染めは一週間もあれば出来るもの。
作業自体は2日あれば出来ます。
古い白生地などがあれば、少しぐらいのシミがあっても濃い色で染めてしまえばわかりません。
うちの工房は小さくて綺麗とは言えないですが、そんな方々の受け入れを少しづつしていきたいなと思います。
健康である程度体力があれば横に私が付きっきりで指導するので一緒に一反染めれます。
私は草木染めしか致しませんので、薬品も最小限しか使いません。
基本は全て自然のもので。
自然の色は少しづつ変化していく楽しみもあります。
熟成されて濃くなるものや、こだわりがなく薄くなっていくもの。
透明感が増していくものなど。
季節の色を自分で染めていくことの贅沢さは、言葉にできないほどの満足感があります。
自分の手で染めたものは風が通って気持ち良いものです。
お下がりなどは祖母の思いが着物にこもっていますが、それが時に重いと思うことが。
草木染めは草木の優しい気持ちや大地のパワーや太陽の光を受けて花が咲く、木が育つというポジティブな思いでいっぱいです。
庭の梅が咲きました。
梅柄の長襦袢を梅の木で染めました。