紫式部の色
自宅の裏にムラサキシキブ(紫式部)が沢山色づき、自然界の紫の美しさに心が高揚する日々が続いています。
この紫は黄緑の実から徐々に色づいているので、最初は黄色みを含む紫になります。
しかし実が熟すと濃き紫に変わっていき、やがて色が抜けて灰紫に。
色は常にうつろうもの。
自然界の色は同じ色のままではありません。
私達もずっと同じ色のままでは不自然であり、年齢と共に熟していくものです。
若さあふれるフレッシュな色から、奥行きのある色へと。
女性らしさを表現するときに単純な色よりもいくつもの側面を持つ色の方が奥ゆかしさを感じます。
同じ紫であってもわずかに鼠が入るのか、青が入るのか、もしくは梅が入るのかなど。
一言では表現できないような色こそ、日本の色になります。
海外から見れば日本人は単純明快とはいえず、何かを含んでいて考えが読みにくいとも言われます。
はっきりと意思表示をするは下品な事。
お互いの言葉のやり取りの中で察してほしい。
私はそんな風に育った世代です。
学生時代、物事をはっきりという帰国子女の友人にいつも心臓がばくばくしていたのを思い出します。
着物を着る時も、この色は今日のこの場に相応しいだろうか。
例えば祝いや茶会の席に、弔事にも使える色(濃紺・濃紫・鼠)の色無地を選んだ場合は、地紋が入り華やかであるか、地紋がない場合は帯が必ず吉祥文様であるべきかなど気を使います。
また帯締めや帯揚げに少し金糸が入るものを選んだりします。
着物とは自分を表すツールでもあり、多少なりとも知識の上に成り立つものです。
色も同じで、気分や好きだからというだけで選ぶのではなく、組み合わせにどんな意味が込められているかなどを明確にしておくと世界が広がっていくと思います。
源氏物語は紫で始まり紫で終わる物語でもあります。
私の似合う色は、紫の上なのか、藤壺なのか、桐壺なのか。
そんな風に思いを巡らせるのも楽しいものです。
若い人は着物をファッションとして捉え、キラキラとした装飾や様々な素材、時には面白く奇抜な柄なども着物に取り入れています。
ヘアメイク、ネイルも洋服の時よりもむしろ派手になさっていて、コスプレに近いレンタル着物のお店も増えました。
イベントやインスタなどでもそのような着物ファッションリーダーの方の活躍が目立つこの頃です。
それはそれで、別の側面として着物が生き残る道でもあり、喜ばしいことでもあります。
反面、色の伝統を守り、文様や素材にこだわり、仕立てや着付けにこだわり、奥ゆかしい日本女性を育てる事も大切であり、残していきたい文化です。
コロナ禍という厳しい期間、着物を着る事に悩み戸惑い、洗える木綿などを中心にやり過ごした時期もありましたが、ようやく茶会なども戻りつつあり、絹の美しさや草木の色が人の心の豊かさに沿っていける日本を取り戻さねばと思うのです。