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和のパーソナルカラー誕生秘話 

2021年12月15日 08:53  




Netflixでビートたけしさんの半生を描いた映画「浅草キッド」を泣きながら見ました。

和のパーソナルカラーを立ち上げた頃は着物業界に色だけを見る仕事など一つもなく、着物は呉服屋さんのお勧めを買うものという風習が強く根付いていました。

なかなか受け入れられない状況の中、高額な着物を人の意見ではなく自分の意思で選べるようになるには、多くの人に選びかたを教えるしかないのだという思いで専門学校の教員を辞めて伝統色彩士協会を立ち上げました。


今回浅草キッドの映画の中に、全く同じようなシーンがあり思わず涙が・・・。

地方の営業で用意された宿がラブホテルで、また営業先からもぞんざいな扱いを受けているシーンです。

ああ〜私もそうだったなと・・・・。

誰もが知っている大手の着物メーカーさんのイベントの客寄せパンダで呼ばれたとき、地方でしたので宿を用意してあると言われましたが駅前にビジネスホテルは沢山あるのにその宿は駅から歩いても歩いても見つからず、暗がりの中に赤い看板が見えた時はショックで立ち竦んでしまいました。


ビジネスホテル以下の宿があることを知りませんでした。


一緒にいたアシスタントが、「先生は驚かれたでしょうが、私は演劇の仕事もしているのでこういうところは慣れてます」そう言ってくれましたが、彼女の顔も悲しそうでした。


翌日会場に行くも、受付でどなたですか?と聞かれ、今日のイベントで呼ばれているものですと言うと「聞いてないな〜」と。

しばらくして担当の方が来て、「あなたが講演したらその時間お客様がそこに集中しちゃうから、売り上げに影響出ちゃうんだよね。僕たちは時間で何枚売るか勝負かかってるからさ、やったことにして帰ってもらえないかな」

本当に惨めでしたが、この仕事を業界に広めるためにも今は我慢だと自分に言い聞かせました。


とにかくある程度まで行ったらこう言うイベントの仕事から必ず手を引く。

芸人の地方営業と同じ感覚です。

何でも引き受けるのではなく、協会の価値を高める仕事ができるようにならなければ弟子たちに申し訳ないと言う思いでやってきました。


コロナで2年間、資格取得の新規講座をやらなかったのも、こんな時期はきちんと休める余力があるという協会のイメージを保つためでもあります。

焦ってはいけないねと皆で話しました。


今、着物の色をみる団体や個人が増えたことは、この業界を私の手で少しでも変えることができたのかも知れないと、やり遂げた気持ちになります。

そして立ち上げから支えてくれ現在も支えてくれている弟子たちに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


私が個人診断をしないようにしたのは、代表が前に出ていては後ろに控える弟子達の出番がなくなるという理由からです。

弟子達を前に出したいという思いから、私の個人診断は余程のことがない限り年に数回のみとさせて頂いています。



皆に経験を積ませる為にいろいろなイベントに参加してきましたが、今は選ばせていただいており、協会のイメージにあっているものに限定しています。

ミュージアムなどの講演やメディアの仕事、またあえて着物業界でない企業様とのコラボレーションなど。

百貨店や呉服店は協会の弟子が所属している場所のみにしています。


弟子にはなるべく個人サロンを開き、ゆったりと時間をかけて診断するようにしてほしいと思っています。


今は個人がどうあるべきかが仕事の要となります。

小さな呉服店であっても、色を見るサロンであっても、その人のもつ魅力にお金が発生します。

それには自分の見せ方に気をつけること。

かつての私のように、価値を落とすような仕事を引き受けない、少ない仕事であっても自分のイメージを保てる仕事のみにする。


私達は着物の販売促進のために診断をするのではありません。

着物がその人の人生にうまく関わっていけるよう手助けをさせて頂くという理由で診断しています。

それを忘れないでほしいと思います。


さて来年は新しいカリキュラムが増えての新規講座募集となります。

詳細はもう少しお待ちくださいませ。

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