龍村平蔵の赤
茶席用の無地お召しに龍村平蔵の花兎の袋帯。
帯締めは道明唐組。
庭の茶花も賑やかになってきました。
この一年、季節ごとに変わっていく庭の木々達にどれだけ救われたでしょうか。
暖かさと共に増えていく小さな花達や、楓の緑が生い茂る姿に生きる力を貰ったように思います。
新しいものへの欲求が少なくなり、今あるものを丁寧に慈しむ生活です。
龍村平蔵の花兎は随分昔から箪笥にあるものの、着用回数は少なくお気に入りではありませんでした。
赤の色が強く、合わせる着物にいつも悩んでしまいます。
しかし、それは合わせる着物の問題ではなく、着る私側の問題だと気がついたのはつい最近です。
赤は若い女性の色と思いがちですが、龍村平蔵の赤は若くては着こなせなかったのだと。
我の強さや、自意識の強さが帯の強さと喧嘩して馴染まなかったと思っています。
主役は私ではなく帯であると譲る気持ちがあってこそ龍村平蔵という工藝の仕事の素晴らしさが引き立つのだと。
着物から学ぶことはいつも生き方に通じると考えてきましたが、40代で感じること、50代で感じること、その年代で様々な気づきがあることに感銘し、日本の伝統文化であることを再確認します。
40代までは、着物は私を引き立たせてくれるものであると、似合うことを第一に考えましたが、50代に入ると着物の素晴らしさを前に出すためには自分自身は一歩引くということを少しづつ学ぶように。
そうすることでバランスの良い雰囲気を出すことが出来るのだと。
若さだけを求める事でなく年齢にあった花を咲かせることが大切です。
そいう意味では、SNSでの不自然な写真加工は虚構の世界であり、自分を現実から離していってしまう危険な事でもあります。
着物を着る女性はそのままで美しいのだという自信をどうか持って欲しいと願っています。
この一年お茶から距離を置き、私はお茶とどう向き合っていくのか心の中で葛藤してきました。
未だに答えは出ず、もしかしたら70歳ぐらいになった頃ようやく見えてくるものがあるのかも知れません。
お恥ずかしいのですが、この年齢になっても人として未熟であるが故に、見えぬものがまだ多くあるようです。
中学生の頃、先生に怒られたことが悔しくて水屋で生菓子に指で穴をあけ、潰してしまったことがあります。
正座が辛くてお茶なんか大嫌いだと叔母や祖母に八つ当たりした事も。
振り返れば随分長く関わってきただけに、これからは自分の世界の中だけで楽しむものとしてゆっくり付き合っていこうかなと思っています。
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